[Art & Culinary]
物質は無機と有機に分けられることは広く知られている。
無機化合物は、有機化合物でないもの、炭素が原子結合の中心となる物質の総称である。
地球はこの無機物質でほとんどが構成されている。
近年まで人類にとって化学とはこの無機化合物に関する知見のことを指し、有機的なものは神の領域に属していた。
現代科学には、有機物理化学という一見何をいっているのかわからない分野があり、私たちの生活に大きな影響を及ぼす科学領域となっている。
中島麦の絵画は、抽象画であり、そこに潜んでいるメタファーを読み取る醍醐味がある。
どのようなメタファーを読み取るかは、人それぞれの想像の自由だが、僕はそこに「物理と有機」を感じ取った。
絵画で使用する顔料も無機顔料と有機顔料に分けられる。
中島麦の使用する顔料はおそらく無機で相違ないと思う。そこにキャンパスという立体物に重力で描く手法をとる。
そこには人の手による有機的なものは可能な限り排除しようという意図があるように見える。
つまり、この絵画は至極、物理の法則に従ったような無機質的なものとして描かれた、といってもいいだろう。
しかし、そこに現れているものは明らかに有機的なものだ。
何が有機的なものにしているかというと、一つには当然、有機体としての作家が関わり、その意図が形になって現れているからだ。
一般的に「食」は、オーガニックフードという言葉が示す通り、有機的なものとして認識されている。
しかし、料理の鍵になる塩は無機物質であり、私たちの健康に大きく関わるリン、カルシウム、亜鉛、鉄分なども無機物質である。
つまり、我々が普段口にしているものは、この無機物質と有機物質との混合物に他ならない。
無機物質だけでは栄養にならないが、味わいの決め手になる塩と健康を維持するための物質は無機物質に頼っているのだ。
一見、「食」に無関係に見える中島麦の絵画からこのようなメッセージを僕は受けとり、3331 cafe Ubuntuで9月〜10月のアート展示を行っている。
是非、期間中に見にきて頂き、意見を聞かせてもらいたい。
ちなみにアートコラムで津嘉山裕美が評している通り、三原聡一郎は、有機を主題として「土」をつくるプロジェクトを長年行っている。
最近では「塩」に焦点を当てているという。しかし前述の通り塩は、普段我々が口にする調味料の中で唯一、無機物質なものだ。
有機的なるものの真逆にあるこの塩に、なぜ三原が着目しているのか、まだわからない。
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